2012年04月17日

十九区から愛知区へ

皆さんこんにちは。

4月に入り新年度を迎え、新しい環境で頑張っている方も沢山いることと思います。



宜野湾市は現在行政区ごとに地域活動等を行っています。


戦前23の字があり、字ごとに地域活動が行われていました。


しかし、戦後米軍の土地接収によって字の大部分が基地の中にあったり、無くなってしまった字もあるんですね。


例えば、字真栄原と字佐真下の大部分が合併して真栄原区という行政区になったり
字志真志の一部と字長田の大部分が合併して長田区という行政区になるなどなど、現在は行政区という分け方をしています。



そんな中、4月より十九区が愛知区という行政区に変わりました。


詳細は新聞記事より以下の通りです

 【宜野湾】宜野湾市の愛知、神山集落でつくる「19区自治会」(上里広幸自治会長)はこのほど、区民総会を開き、名称を「愛知区」とすることを決めた。1日付で佐喜真淳市長宛てに上里自治会長名で自治会認定変更申請書を提出。4月1日付で変更される予定。
 古くからあった神山集落に対し、愛知は士族の帰農によって生まれた屋取(ヤードゥイ)集落。戦前は隣り合う集落同士で共存していた。
 一方で、戦後に神山集落の大部分が普天間基地内に接収されたため、1964年の市行政区再編によって2集落は一つの行政区に統合された。統合時に両集落の住民から異論が相次ぎ、名称が決まらなかった。
 そのため、再編に伴い、普天間飛行場を中心にして市役所から反時計回りに数えた際に19番目の自治会だったため、これまで仮名称の「19区」を使用してきた。
 名称以外にも2集落の対立は住民生活にも影響を及ぼしている。市は84年に市内の住居表示を導入したが、戦前の集落ごとにくくられたため、住居表示する際には愛知の一部を新設予定だった「神山町」に統合する必要があった。しかし、反発が強く、住居表示が導入されず、19区のままとなっている。
 今回の総会により行政区を愛知に統合した上で、住居表示導入に向けて愛知の一部住民に住所変更への理解を得る目的もある。
 上里自治会長は「一人暮らしの老人や地域離れなどの課題は山積している。より自治会員が住みやすく、古里として誇れる街づくりに頑張りたい」と話した。

2012年3月19日 琉球新報


【宜野湾】1964年来、「19区」という名称を使用してきた市の愛知や神山の集落でつくる自治会が、1日付で「愛知区」に変更となった。2日、宜野湾市役所で佐喜真淳市長から認定書の交付を受けた上里広幸自治会長は「晴れ晴れとした気持ち」と新たなスタートを喜んだ。

 同区は64年の行政区再編で、愛知と大部分を普天間飛行場に接収されていた神山との両集落で話がまとまらず、仮の名称である「19区」が現在まで自治会名となっていた。

 米軍基地の影響を受けながら、約50年ぶりに地名での表記が実現した上里自治会長は「子育てや福祉活動の充実へ、地域で一致協力していきたい」とさらなる発展へ意欲。

 認定書交付式に同席した同区民生委員の佐和田幸子さんは「周囲からは『なんで19区なの』と聞かれることも多かった。これで胸を張って区名を言える」と歓迎。老人クラブ友和会の伊良波幸政会長は「これまでの困難の元凶は飛行場ということに、行き着くんだと思う」と米軍基地に翻弄(ほんろう)された歴史を振り返った。

 未表示となっている区の住居表示について上里自治会長は「行政に早急に取り組んでほしい」と要望。市側は「住民説明会を開きながら、進めていきたい」と話した。

2012年4月1日 沖縄タイムス



ということで~!!


十九区から愛知区へ

十九区から愛知区へ



連合会加盟団体の十九区青年会も愛知区青年会に名所変更予定とのこと!!



歴史的な瞬間ですね。


これからも地域密着発展頑張っていきましょう!



同じカテゴリー(宜野湾市)の記事

Posted by 宜青連 at 12:33│Comments(0)宜野湾市
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。